本と暮らせば 出久根 達郎 著

直木賞作家でありながら、古本屋店主である著者の本への愛が溢れるエッセイ。行ったことないけど、神保町の古本屋の薫りがします。古本屋巡りをした後で、美味しいカレーを食べて、喫茶店でコーヒーを飲む。そんなイメージがわきます。私は古本よりも新品がいいから、大型書店派かな。古着にも抵抗があるので…。それでも美智子妃殿下が、もしご自分の立場を忘れて自由に1日過ごせるならどうしますか?と聞かれ、「姿を隠して、神保町の本屋で立ち読みをしたい」とあるインタビューで答えておられた。という貴重なエピソードがあって興味深く読むことが出来ます。歴史上の人物や文豪の学校では習わなかったエピソードが満載で、漱石や太宰を少し身近に感じることが出来ます。自分が生まれる前の出来事や時代背景も知ることができて、タイムスリップした気分にもなれます。そう思うと、自分の人生の記録って、残しておいたら貴重な資料になるのかもしれない。手帳とか捨てずにとっておいて、読み返せるようにできたらなと思った。もう、来年の手帳出てますね。10月始まりか、1月始まりにするか考え中。毎日更新できるといいな。

脳がワクワクする「語学」勉強法 茂木健一郎著

勉強は好きですか? ハイ‼っと素直に手が挙がるくらい真面目に勉強しておけば良かったと後悔しています。頭の使い方をよくして、人生を有意義に過ごしたい。そんな願望につられるように著者の本は何冊か読みました。脳科学はどこか心理学にも似ていて興味深いジャンルですね。この本は、勉強することや読書にモチベーションを与えてくれます。東大出身の人と脳の構造は違うと思うので、ついていけない部分は多少あります。それでもいえることは、わからないや難しいの壁を乗り越えたら、楽しいが待っているのかもしれないということです。今は、そのつもりはなくても、アインシュタインの「相対性理論」は、いつか読んでみたいと思う。また、古典文学も有名なのは、読破してみたい。ある程度年齢を重ねたら、自分が今まで苦労してきた所や、悩んだ経験が共鳴して感動するかもしれない。感動することは脳にとっていいことなのだそうです。脳が喜べば、勉強もはかどる。英語は断続的に勉強中です。学生時代は文法に泣かされた記憶しかありません。仮定法とか関係代名詞とかワケわからんかった。授業はとにかく眠たかった。英会話の学校に行って、実際にネイティブの先生方と会話をしてから、大分楽しいと思うようになった。それから、字幕で映画を観るのが楽しくなり、少しずつ理解できるようになった。まったく英語を必要としない仕事をしながら、ライフワークのように勉強することを考えてしまう。この本は、勉強をとにかく楽しいと感じること。ワクワクする方法を推奨してくれています。洋楽を聴いていると、歌詞の意味はわからなくても感動することがある。多分、メロディーと歌詞のバランスがあっていて、そこに込められたディティールが言葉の壁を越えているのかもしれない。映画だと、そのシーンとマッチして印象に残るのだと思います。英語は世界の共通言語。日本語とそんなに大差はない。水とwaterが同じラインに認識されたら、きっと大丈夫だ。piece of cake.🍰

禅 マインド ビギナーズマインド 鈴木俊隆著 松永太郎訳

瞑想がブームになっている。あのスティーブジョブズもやっているそうで、多くの著名人もやっている。またの名はマインドフルネス。過去も未来も関係なく、今という時間を生きる。そのための哲学でもあり、マインドでもある。書店には禅や瞑想について書かれた本がたくさんあります。私も何冊か持っています。この著書はスティーブジョブズが読んでいて、瞑想をする上で影響を受けたとされたものです。私自身、禅の本に興味をもったのは、熱心な仏教徒というわけではありません。自分の人生そのものをシンプルにして、認知の歪みを正したかったのだと思います。書かれていることは、一見抽象的でありながら、真理としては一貫しているように思います。人間は煩悩によって悩み苦しんでいる。その原因を突き止め、心を無にする。つまり生まれたばかりのまっさらな状態で何も考えないないようにする。そのための紆余曲折が書かれています。瞑想を始めたばかりの頃は、雑念がシャワーのように溢れるそうです。それがしんどくて辞めてしまう人もいるそうです。また、瞑想や座禅をすれば悟りが開けるかも、というのもそれが目的になってしまって、結果的には欲に繋がってしまうようです、それがかえって苦悩に変わってしまっては、元も子もないですね。この著書は、禅とは哲学や宗教である以前に、自分自身の学びだということをただひたすらに語っています。生きるということはどんな学問よりも難しく、答えが分からないものですね。だからこそ、シンプルに目の前のことに集中して生きる。そうすると、今まで退屈だといわれた概念が遊びに変わり、ひいては感謝に変わって行くのだと思います。全然関係ないけど、昔のアニメのタイムボカンシリーズで、「ゼンダマン」があったのを思い出しました。あっ 全然関係なかった。失礼、雑念が雑記張のようにでてしまいました。

自分を愛すると夢は叶う 吉本ばなな 奥平亜美衣著

何だか心が元気になり洗われる一冊に出会えました。いわゆる引き寄せ本で、引き寄せブームのさきがけとなったお二方の言葉は、寄り添ってくれるような優しさと希望に満ちています。今の自分が本当の自分だと決めつけて、自分の中にある可能性を閉じてしまうのはもったいない。まだまだやれる。成功することや、ただお金持ちになることがゴールではない。成功とは地位や名誉を得ることではなく、自分が心地いいと思える生き方をすること。恋愛に関しては、幻想を捨てて、一人の人間として尊敬できるかどうかを大切にしてみようと思った。それは友達に関しても同じことがいえる。また、それは人間関係全体にもいえると思う。また、意地悪な人は意地悪な人どうしでディスりあったり、足を引っ張ったりして同じサイクルの中で無限ループを繰返しているという。自分の心が同じ土俵に立たないように、出来れば優しくさらっとした感触の人たちと穏やかに平和に過ごせたらと思った。血液でもどろどろよりもサラサラがいいのと同じで、精神衛生上、人になるべく嫌な思いはさせないようにすることは課題でもあり、目標でもある。また、年を重ねるごとに自分の美しさを追究することをあきらめてはいけない。それは自分を愛することになる。自分を受けいれ、ご自愛することが、未来の道標になる。お金や健康の心配をしなくても大丈夫。きっといい流れの中で過ごせる。keep trying!

猫の恩返し

「女子高生のハルが猫を助けたばっかりに、猫の国に連れて行かれるファンタジーなのかどうなのか。ネズミや猫じゃらし、マタタビは猫にとっては、うれしい贈り物でも、人間にとってはありがた迷惑。キウイフルーツの皮はマタタビの成分と同じらしいが、キウイフルーツで興奮はしない。「耳をすませば」で、月島雫によって命が吹き込まれたバロン。猫だけど、カッコいい。猫の国のものを食べて猫になってしまったハルとのダンスシーンは、好きなシーンかもしれない。バロンの「自分の時間を生きるんだ」その一言にハッとさせられる。ハルの日常生活は何となくゆるい。怠惰というわけではないけど、一生懸命ではない。多分、他人から「右に行け」と言われたら、何も考えないないで右に行くゆるさだろう。そんなハルでも、さすがに猫のお嫁さんは嫌だと、焦る。私も好きでもない人と結婚させられそうになったら、必死で抵抗するだろう。そこからハルの自分の時間を生きるための冒険が始まる。自分が助けた二匹の猫が結婚する。こんなめでたいことはない。猫を助けたことは無駄ではなく、ちゃんと意味があることに気付いたハルは、自分の意思で人間に戻って行く。バロンたちに助けられ、無事元の日常に戻った。人生に無駄なことはない。自分の時間を有意義に過ごすようになったハル。もしかしたら、それが猫の恩返しなのかもにゃん。

行動学入門 三島由紀夫著

昭和の文豪、三島由紀夫氏が自決した年に出版されたエッセイ。思いの外読みやすくて面白くて勉強になる。とくに「おわりの美学」の部分は、著者本人もふざけて書いたというだけあって、笑える部分もあり、読みやすかったです。 行動編では、当時としてはタイムリーなヨド号ハイジャック事件を例にした文章がある。その中で、人間は行動している時は、不思議と危険を感じないという言葉が印象的だった。心配や不安を感じるのは、行動の前なのかもしれない。確かにスポーツで試合本番に臨んでいるアスリートの人たちは、競技中は心理の暇もないほどの状態で目の前のことに集中していると思います。行動に移す際、ある程度の筋道や、スモールステップを想定するのは大事ですが、考えすぎは行動を阻害する壁にもなりうる。バンジージャンプも本番よりもやる前の方が怖いのかもしれない。「おわりの美学」は、読みやすい中にも、著者の自決につながる死生観が見えかくれしている。特に「童貞のおわり」や「英雄のおわり」「世界のおわり」にそれが色濃く現れている気がする。女性なら誰もが悩むであろう「嫉妬のおわり」には、「うつ病は人生に絶望している状態で、嫉妬はまだ人生に希望を持っている状態である。」という言葉がある。嫉妬が生きる原動力になるというのは、分かる気はする。あの有名なマンガ「宇宙兄弟」も嫉妬がテーマになっていると聞いたことがある。絶望よりも希望があった方がましではあるが、それに飲まれると、吐き気しかしないので、人間が誰しも持っている自然な感情だと認めよう。そして、なるべく考えないようにするのがいいかもしれない。その後の「革命哲学としての陽明学」に続きます。陽明学は著者の最期や大塩平八郎の乱など、歴史上の偉人を壮絶な死に追い込んだ、なんかヤバそうな学問なのだろうか。
陽明学について調べてみる。陽明学は心学とも言われる。簡単にいえば、知識だけを頭に詰め込むだけでなく、心の歪みを正すことが重要であるらしい。つまり、心も掃除や洗濯が必要ですよということでで、自己啓発や仏教も心理学も哲学もスピリチュアルなものまでも、基本になっているのは、陽明学だということを学びました。養命酒? ちょうど夏の疲れが出る頃ですな。

ゆるい生活 群 ようこ 著

体の不調を漢方薬で治す。興味があったので読んでみた。とても読みやすくて面白くて勉強になる。漢方薬っていろいろあって、漢字は比較的読める方だと自負しているけれど、読むのが難しい漢字ばっかりです。「人参湯」くらいしか浸透していない。昔、アトピーの治療で「消風散」という苦い漢方薬を服用していたことを思い出しました。漢方薬はケミカルな西洋医療に基付いた薬とちがい、即効性がないので、正直、効いてるのかどうかはわからなかった。風邪には、「葛根湯」がいいというのも効いたことがある。体質改善というか、体の些細な変化に敏感に反応するのは、いささか面倒な気はする。ジャンクフードを食べたり、暴飲暴食を自然としなくなるなったりするのは健康的だと思います。著者が通院している漢方医の先生が、「漢方薬の治療は、人間が最期に普通に生活しているなかで、苦しまずにポックリ逝ける」ように体を労るための医療という言葉が印象に残っています。それは、私も理想とする死にかたで、最期まで、誰の世話にもならずに、自分でトイレに行き、お風呂に入り、身のまわりのことは亡くなる当日まで自分でやれたらいいなと思います。40代は、マラソンでいう人生の折り返し地点。健康については思うところあり。時々は、ハンバーガーやポテチが食べたくなる。ケンタッキーフライドチキンも食べたい。そんなジャンクフードの誘惑と仲良くしながら、健康管理して行こうと思います。